ちょっと最近なかなかゆったりと時間をかけて本を読む時間がないです。うー。

料理家の飛田和緒さんの日常をお料理をメインに今日はこんなものを食べた、こんなものを作った調でまとめた日記スタイルの本です。
私が持ってる料理の本は飛田さんのもので、最初に買ったのはたぶん、作家の谷村志穂さんとの共著の1DKクッキンだと思うんですが、とにかくきっちり計量しなくてよい、味はそれぞれ好みがあるから大まかな量は示すけど自分の舌のお好みでねというスタイルがすごく好みでした。
丁寧にゆったり生活してる人なんだなあと思ってそこが好きだったのですが、売れっ子になって料理家の肩書きがついてからのこの一冊は、あちこちでぎすぎすしたものが垣間見えてですね、私が好きだったあのゆとりがなくなってしまったのが残念でした。
向田邦子さんの本を最初に読んだのは中学生だったか高校生だったか、とに角学生の頃でした。読む時期、というものがある本があると思うんですよね、向田さんの小説はそれに当ります。
学生の私には向田邦子の小説を読んで分るだけの人の経験値が不足していたので、一冊読んだきり、長いこと手に取る事はありませんでした。
(なので一度読んでつまんねーなあと思った学生諸氏は忘れないで大人になってからまた読んでみて欲しいですよ。その時にはきっと分ると思います)

この本は妹にあたる和子さんがたくさんの写真と共に姉に関するあれこれを綴っているのですが、向田さんが亡くなって、長い時間が経って、気持ちの澱もなんも無くなってうっすらと底辺に広がる悲さだけが残ったような、上澄みのように静かな文章です。お人柄なのだと思いますが、差し出がましいところがまるで無くて、濃くも薄くもない語りです。「お姉さん」であった向田さんを知りたい方は是非ご一読を。
よい一冊だと思います。
お久しぶりでーす!
だらだら本は読んでいたんですけど、レビューを書きたいと思うほどのものも読んでいなかったこの2ヶ月でした。お暑うございますね、みなさんお元気でしょうか。
それはさて置き、かなりステキな一冊ですよ、これ。
雲、水、氷、光、風、そして季節と6章仕立てで空の名前を綺麗な写真で教えてくれるんです。例えば、雲の章には鰯雲や積乱雲といったお馴染みの雲の浮かぶ空から蝶々雲とか雲の湊といったものまであります。
水の章は雨です。雨からはじまって、霧雨、春雨、五月雨くらいは馴染みでも肘かさ雨や洗車雨(←車洗ったときに限って雨降るんだよーなんていう雨じゃないですよ)、天泣。
古から伝わった、たくさんの空の名前があるんですね、この国は。
四季があることの豊かさとはこういうことも含めるんだなあと思いました。この情緒と感性の豊かさは日本人の財産ですよね。
それぞれ解説がとても丁寧でわかりやすいですし、何よりこの本をよいものにしているのは、所々に差し挟まれた空の名前が詠まれた俳句や和歌で、人はずっと空の下で生活を営んできた事、それは昔から連綿と続いていること、昔と今はつながっている事を教えてくれます。
気持ちを豊かにしてくれる一冊です。
以前から存在は知っていたけれど、なかなか読む機会がなかったのを今回読んでみました。
旅のスタートの香港・マカオ編です。旅というよりは、明らかに放浪というのがしっくりきますが香港の街の熱気に掴まっては長居をし、マカオのカジノで張り続けそしてインドへと向かい(そこでまたぐだぐだし)ロンドンへ向けて腰を上げるまでが一巻です。
香港では、拘束された日常から解放された喜びに溢れているのですが、それが一転インドでは生きてるのもかったるくなりかけていて、なにか確固としたものがないと放浪というのはエンドレスになるという危惧を孕んでいるのだと思いました。
やっと読むことが出来ました。これが氏の食エッセイの一冊目なんだそうです。
私が一番最初に読んだ氏の本は、「むかしの味」。会社のグルメのおじさんが貸してくれまして、大変面白く読み…といいますか、これで私の池波正太郎が決まってしまったようで、その後小説は一切読まずエッセイのみを読み漁る片寄った読者となってしまいました(しかしこういう読み方をする人は居るんですよ!友人のご母堂がそっくり同じ読み方をしているのを知って、初対面の75歳の方でしたが、一気に話が盛り上がりました)
内容は、食べ物に関したエッセイがたっぷり。読みながらあーたまらん、食べたい、と必ず思うこと請け合いの一冊なのですが、食卓の情景というタイトルがぴたりと内容を表しています。
食べ物に絡んだ人生模様を書いているのであって、人生模様が情景、というわけなんですね。
ただうまいものが好きというよりも、食べる、ということに対して真摯だったからこそ氏のエッセイは読みでがあって味わい深いものになっているのですねえ。
はらだしき村というですね、氏のウェブサイトがございまして、そこで掲載されていたエッセイにちょこっと足してまとめられた本です。
躁鬱病を患われたとこまでは知っていたのですが、多分ぼちぼち仕事に復帰できるかな、で書かれたものなのだと思います。
爆笑エッセイのイメージを持って読むと、ローテンションさに戸惑うと思いますが、底に持っているユーモアはそのままだと思います。表現の方法が変っているだけで。
むしろ、テンションが下がった分だけ、以前はそれに隠れていた人間性の本質のようなものが見えやすくなったように思いました。
作家というのは己を曝して行く仕事ですが、すごい事ですよなあ…。
最後に掲載されている「おやじがたおれてみて」のエッセイは必読。ここに集約されているものが本質で、これを曝すと言う事が作家なんだな。
村山聖というA級8段の棋士の29年の生涯を綴った本です。
…そうか、「A級」なんだ、今迄ニュースなんかで耳で聞いては「永久」だと思ってました、いやーすごく強い人に生涯○段を差し上げ様ってそういう意味なのかなって…この歳まで思っていました…(恥)
こんな将棋知らずにも程がある私でも一気に読んでしまいました。
幼少の頃ネフローゼを患い、病床で将棋を覚えた少年が「名人」を目指して、自分の残り少ない時間を計りながらただひたすらに希求していく話です。
目標ではなく、名人になることが聖の生きる糧だという非常にシンプルで、強くて、苦しい道を、(実際には体が悪くて彼はとぼとぼとしか歩く事が出来なかったそうなんですが)、力強く進んでいったその足跡の話でもあります。
末期癌の病室に聖は時計を3個、見えるところに置いて置かせたそうです。時間を知るためではなく、彼にとって、生きていると実感できるのは、進む時計の針を確認する事だったんですね。針が進んだから、自分が生きていると分るっていうのは空恐ろしいほど静かな世界です、生死の狭間ってのはそんな処なのかと思いました。
ネフローゼ児を守る会の機関紙に寄稿した文には「人と違った人生、変ったおもしろい人生が歩める位の気持ちが大切」と書かれていました。
それは強さではなく、肯定で、肯定した人というのは強いのです。
この頃わかってきたんですが、私、博徒といいますか、ギャンブラーといいますか、勝負師といいますかまあそのテの方の書いたものがすごーく好きみたい…。
サイバラ画伯が挿絵をおつけになっていますが、内容は競輪でやられ、競馬でやられ、カジノでやられと連綿と続く伊集院先生の博打エッセイです。楽しい。
時々、阿佐田哲也氏が絡んだ話が出てくるのですが、それは特に含蓄が深いので凡人の私は思わずメモを取りそうになる程です。
競輪場でおけらになった伊集院先生が沈む夕陽を眺めていると、さあ、次の戦いへ行こうと阿佐田氏。煙草代もないんですよと言う伊集院先生に最初の半荘負けなければいいと言い放つ阿佐田氏。
…深い…。
なんというか、この見た事の無い深淵の端っこを見せてくれるところが(見ない方が人生幸せなのかもしれないですが)読み耽ってしまう理由だと思うのですが、ちょっと悔しいのは競馬も競輪も麻雀をしないものでイマイチわかってないんですよね、でもそれでも読んでて面白いんですが。

伊集院先生のエッセイを読んでて思うことは競輪も競馬も麻雀も運と経験と分析力なんですな…。適当に馬券や車券買う人なんて居ないんだーと知ってそこに驚きました…。
ギャンブルも大変ですよね、麻雀は手が多すぎるし(←プレステで麻雀やったときついにニコニコしか覚えられなかった人。アホは麻雀出来ない見本です)、競輪も競馬も走る車や馬が多すぎて一々分析なんてやる前からかったるくて仕方ない、そんな私がやるとしたらチンチロリンあたりが関の山なんでしょーかね。

いや〜お久しぶりでーす。
引越しなんかしてまして。その関係で光になっちゃったりしまして。そのお陰で開通するのに時間がかかっちゃったりしまして。
三月の引越しは地獄ですね、もう二度とやりたくない…。

石井桃子さんの訳の本が好きでして。
これは選ぶ時の指針になったりします。それでひょいと石井さんの幼少時代を綴った本があるのを見つけて手にとってみた次第であります。
1907年のお生まれなので、えーと、そうか!100年近く前の話になるんですね。小さい頃の思い出話なのですが、昔話というより、当時の詳細な生活の記録の欠片という感じで、生活の模様など私は興味深く読みました。
往来を行き来した物売りの人の話や、大家族の末っ子で育った石井さんの目からみた兄弟姉妹の人間関係の話はディテールまで鮮やかでした。
最初、淡々とした語り口にちょっと退屈だなあと思ったのですがそこを通り過ぎるとゆっくり丁寧に読んでいきたくなります。

オーブンレンジのターンテーブルの皿が引越しで割れてしまいました…。
なんであの皿がないとレンジ機能が機能してくれないんだ!
そしてあの皿ってどこで売っているんでしょう。
注文?注文なの?(汗)
いきなり4巻からなのは、現在この巻まで自分が読んだからであります。
佐藤大輔氏の原作を漫画にしたものだそうでして、小説の方はまだ読んでおりません(聞いたところによると、戦略とか武器について語る箇所が多いらしく、うーむ困ったな寝ちゃいますよ?と思っているんですが…)
戦争ものであります。
架空の国の話で、大国が小さな島国の皇国に侵略戦争をしかけてくるのですね。圧倒的に不利な戦況の中、北領の地からの撤退を皇国軍は決めます。
その撤退を援護する為、大国の軍の足止め役をせよとの、ものすごい厭な命令を受けた新城率いる大隊が、なんとか生き延びる道を地獄のような戦況の中、必死で模索しながら戦っていく話であります。
新城の隊は剣牙虎という野生の猛獣を飼いならして戦わせるというちっとばかり特殊な隊でして、彼等は”猫”と呼ぶんですが、猫がなかなかかわいいです。他にも龍が出てきたりしてですね、私はこういう戦争物ってほとんど読んだ事がないので一概に言えないのですが、戦って死ぬ潔さよりも、最後の最後まで生きていようと足掻く事、生をどん底まで希求することを描いた話のように思われます。
まだ4巻なので、新城の素姓とかがよくわからんので、こんな感じなのですがうん、面白いですよ。
ミッフィーの原作者のブルーナさんの本です。
Q&A形式で、ブルーナさんが77の質問に回答してくれています(なのでこの本には絵はほとんど載っていません)
本の扉に、I do hope this book about me may help you realize your own dreams,too! とブルーナさんからのメッセージがあるのですがこの通りの内容です。
ブルーナさんが、どうやって絵本作家になったか、好きなことをずっと追いつづける事、それを大事にすることについてブルーナさんが考えてきた事、やってきたことが語られています。
質問の全てに、丁寧に、真摯に、出来るだけ易しい言葉で答えたこの本は、小学生から読めると思いますが大人にも必要な本だと思いました。
こういう、迷いがなく、自分の進む方向が、はっきり全てにおいて分かっている人の言葉はシンプルで強いです。
こんなスタンプでした
そうそう、忘れていました。
司馬遼太郎記念館で、スタンプが押せるんですが、それはこんなのです。
記念館のエントランスがモチーフになっていますよ。
上巻だけで感想は書けないので、当然下巻も読み終わっているのですが…この本は、司馬さんの記念館でですね、買ったのです。
一緒に行ったお友達がこれ面白いそうだから買い、と薦めてくれたので、旅行中にもかかわらずこの分厚い本をですね〜買ってしまったのですよ、アホか〜!重かった、ほんとに持ち歩くの重かった。
まあでも、ちゃんと記念館のカバーかけてもらったし、スタンプも本に押してきたからいいとしています。
ご存知の方も多かろうと思いますが、これは新撰組の本です。その中でも土方歳三にスポットを当てたものなのですが…とここまで書いて続きに詰まってしまいました。
なぜなら、史実に基づいた歴史小説のレビューというのは、それが有名な史実であればあるほど、みんなどんなものかを知っている訳で、敢えて書こうとするならば、読み比べられる程の読書量が書き手にないといけないわけで…えー、日本史がパーだった私にはそこらが全然ないのです。
苦しいなー、こんな苦しいレビューは初めてだ。

滅び行くものには、終焉を迎える物悲しさが付き纏うと思うんですが、物悲しさよりも己の信念に従って生き抜いたその強さが読後に残った話でありました。

しかし司馬さんが書くと歴史もおもしれーですなー。
教科書執筆してくれたら日本史好きになってたかもしれない。
終わらない夜、は夜の絵なのですが、こちらは一転昼の絵です。
私は「終わらない夜」を見てすぐに「真昼の夢」を見たのですね。
終わらない夜の印象がとてもファンタスティックでしたので、正直ちょっと見劣りがしたといいますか…ううん?というのがが第一印象だったのですが、改めてこの本だけを見直してみますと、いやいやなかなかいい感じでございました!
昼の本はマグリットよりエッシャーの要素が強く出ていた絵ですが気持ちよく晴れ渡った空と、静かな水面が印象的です。終わらない夜が、絵の世界に潜っていくようなイメージなら、こちらは絵の世界に遊ぶようなイメージです。
どうして東京タワーのレビューのあとがリラックマなのか、本人にも分かりかねるのですが満を持して(?)読んでみました。

そもそもリラックマは他人とは思えないの。
このだらだらっぷり。本の中で90%リラックマはだらりと寝そべっています。その姿、己を見ているようでした。
リラックマはきっと日がな一日この調子なんでしょう。私はとても一日中だらりとはしてられないんですが、だらだらしてる時はほんとリラックマのまんまです…。
本は小さめのサイズで、見開きの構成です。片面にだらだらしてるリラックマ、もう半面にリラックマ的今日の格言のような一言が書いてあります。
どこから開いても差し支えないので、本の扉には「目をつぶって好きなページを開いてみればあなたへのメッセージがありますよ」と書いてありますので、そういう読み方も出来ますね。
合言葉は「リラックマロウ」ですよ。
お正月の間に読んでみました。
なんと、ドラマ化ではありませんか〜(ドラマの方は見てないんですけど)

リリー・フランキーさんという方をですね、私は恥ずかしながらほとんど知らなくって、水曜日のテレビ番組で拝見する程度でした。つまりは顔と名前が一致する程度の認識しかなく、なんの先入観もなく読んだのですが、人を思い遣るということ、についてご自身の自伝に絡めて書いてある本です。
半生記とでもいいましょうか、幼少期から、お母さんが亡くなるまでのことを書き綴っているのですが、リリーさんご自身のように、表面に熱いところは出さずに、淡々と、でも細やかで繊細で、芯のところは熱い。
確かベストセラーになったんですよね、この本。
親でありながら我が子を殺したり、子供が自分の親を殺すような事件が珍しくもなんともなくなった昨今で、この本がベストセラーになる程読まれたというのは救いのように思えます。
大事なものは、大切にしてこなければ大事なものにならないんだって教えてくれる一冊だと思います。
これは厳密には絵本ではありません。
ロブ・ゴンサルヴェスという人の絵に触発されたセーラ・L. トムソンが一枚に一編短かい詩を添えて出来た本です。
いわゆるストーリーというものはないのですが、これは大変に美しい本です。マグリットとエッシャーを足して2で割ったような(と私は最初に思ったのです)幽玄でとてもファンタスティックな絵は、それ自体に物語が詰まっています。添えられた詩も物語を喚起するもので、絵の世界へ先導するようなものになっています。”話”として語られる文字の物語はないのですが、絵の持つ物語の世界に入ってお楽しみください、という本です。
たっぷりした大型本な作りなのも嬉しいところです。
暮れも近くなってくると気持ちに余裕がなくなってきますよね。
最近そういう時には、絵のついた本をめくることにしています。短い時間で一冊読めて、いい気分転換になります。しばらくはそういう本を紹介してみようと思います。

絵本ってまず絵に目が行くと思いますが、この本はイラストが村上勉さんだったので手に取ったのでした。小さな子供の頃から村上さんの挿絵の本に親しんできたのですが、それは大人になっても変わらないようです。
虹の谷ストアは、山村に一軒だけあるお店です。ファックスで注文を受けた品を配達してくれるサービスがあるのですが、ある日、妙な注文のファックスが入ります。お得意さまの茶店のおばあちゃんからの送信なのですが、首をかしげながら配達に行くと、注文したのは、しっぽのはえた男の子だったという話。
この本はサイズが大きくてですね、村上さんの色彩を押さえたイラストが全面に広がって、そして、文字とのバランスが大変いいです。イラストの中に文字を置いてこれだけ違和感がない本というのもなかなかないと思います。
絵の中で字を読むような感じで、物語の世界にあっという間に引き込まれる一冊。
歴史推理小説と言えばいいのでしょうか。
長屋住まいの一度死んだ男が生き返り、死人憑きだと分かったところから事件が始まるのですが、元を手繰ってみれば、100年も前(この話は1802年の時代設定なので)の忠臣蔵にまで遡る…という、内容盛り沢山な一冊です。私は読みながらなんてサービス精神旺盛な、と思いました。
事件は、お初という、今でいう霊能者の能力に導かれて解決に向かうのですが、脇の登場人物も実に多彩で人間臭いです。江戸の時代背景も丹念ながら、忠臣蔵の討ち入りの真相の紐解き方も、霊が絡むからといって単純に遺恨では片付けない深さもあり、楽しんで読めました。

この本は薦められて読んだのですが、考えてみればもうすぐ討ち入りの日ですね。12月といえば忠臣蔵、忠臣蔵といえば12月ですよね、日本人なら(そうなの?・笑)
なんてタイムリーだったのでしょうか。
久しぶりに群さんのエッセイを読みました。
よく世間では「歳をとると頑固になる」と言いますが、そう思った一冊でした。
以前の、まあいいか的なお気楽さ加減が抜けてきて、その分やや頑なさが加わった感じの、ちょっと辛口に世間に物申す、というエッセイでした。あれもこれもなってないので怒っています、というのがほぼ全編通しての内容ですよ。
さらりと読めてしまう語り口調は健在。

1 2 3 4 5 6 7 >