疾走/重松清

2005年8月10日 読書
表紙にぎょっ。

…もうこの本のお陰で今日の予定丸つぶれになったよ。
読み始めの頃はですね、塩狩峠みたいなどこぞのキリスト教の会報向けかなんか用に執筆したんかなと思っていたら、おっとびっくりKADOKAWAミステリの連載でした。
この方の本は初めて読んだのですが、第三者視点で話は進んで行くんですが、”おまえ”で主人公に語りかける口調が独特。きっぱり三人称で物語が進行しないところが、彼の事を慈しんだ誰かが語っているのだという近さを感じさせる、でも第三者だという線引きもされているというびみょーな距離感が絶妙でやんす。
一言で感想を言いくるめるような話ではないので、アマゾンのレビューなんぞをちらりと見てみましたら、レビュアーの方々も苦心なさっているご様子。ずばりと感想をいいのけたレビューがほとんど無い。内容の重さに腰が引けてる人とかよくわかんねーとか、粗筋だけをつまんでそれで終わりにしちゃってる人とかさ。
ま〜なんで自分だけでも少しはずばっと書いてみっか!
がざっとした粗筋は、片田舎で育ったシュウジという少年が兄が進学先の高校で優等生から落ちこぼれたのを引き金にどんどんと人生を転落して行く話。この兄が後に精神を病んで放火に走り、煽りを食らって一家は孤立、シュウジはいじめにあう。そこから父は愛人つくって家を捨て、母は博徒で借金まみれに。15歳の時には一家離散というなかなか悲惨な人生です。
落ちる時はあっという間なのだ、だとか、何を選んでも悪い目しか出なかったように見えるシュウジの一生なんですけど、果たしてそれは彼のせいだろうか?だって未成年者ってのは本当に無力だ。
社会的になんの力もなく、なにも認められなくて、何も持っていない。(親という後ろ盾があってこそ社会で生きていけるのであって親がなければ労働基準法だって独りで生きていくには壁になるし)だからこそ彼等は親に庇護されなくてはならないし親は自分の子供をちゃんと庇護しなきゃいけない。
シュウジはまるで、親からはぐれた雛みたいに思えた。
ほら、野生動物のドキュメントなんかであるじゃん、親にはぐれた雛が一匹で果てしない氷原をうろうろするあれ。
彼の両親は自分だけ逃げてしまったから、シュウジは一人で世間っつー氷原をうろうろする。途中いいことの兆しなんかも見えたりするんだけど、雛は一匹ではとても生きて行かれないから、つまりジュウジの人生の羅針盤はどうやったって死へしか向かわない。
(まあ途中で人を殺したり、もう一人成り行きで刺したりもしてるんだけど社会的な善悪については当たり前だから言わない。だけどシュウジはたったの15歳でとても非力で無力だ。殺人や傷害を犯す子のどこが?って思うかもしれないけど、行為ではなく、人間として非力で無力なのだ)
親がしっかりしなきゃやっぱり子供って生きていけないんだよね。
子供のいる親御さんへの推奨品ですな。

ほんとにドロドロにひたすら落ちて行く話なので、どこに重点を置いて読むかで感想は多々でしょう。
だけど、私は読後に読まなきゃよかったとか重いとかは感じなかった。だってシュウジは精一杯生きたもの。
ほんとに疾走した、懸命だった、あれ以上どうやって生きろというのでしょう。

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