親愛なる先輩が美輪さんが好きだと仰るので、何かお薦めの本があったらぜひ、と聞いてみたらこの本をご推薦だったので読んだ。
うーんとね、人生訓のような本。あんまり語って、ああこの人美輪さんの信者なのね、と思われてもなんなので(なんなのでというのは、そういった視点では読んでいないということと、こういうものは読んだ物を鵜呑みにするのではなく、判断は自分で下すものだと思っているからです。だから穿った目で見ないで欲しーなーって思いますの。最初から偏見の眼で見るのはつまらんですよ)さーっと行きますよ。
正負というのは、世の中いいこと(正)と悪い事(負)で成り立っていてそれは均衡しているから、いいことがあったときはその対価として同じだけ悪い事があるのだ、これを心して人生歩めという感じであろーか(結構的確だと思う、この要約)
馴染んだ言葉で言うならば、禍福はあざなえる縄の如し、ってのがぴったんこかもね。この諺がわかんない人は自分で調べること(←すんません、最近教えてチャンの友達がうざかったので、つい…)
だけど私は人生で謎だった事が少しだけ解けた気分。多分人の一生のうちで正と負は誰しもがそれぞれ総量は違ったとしても同じ分量だけ受け取るんだね。正を10受け取った人は負も10、5受け取った人は負も5(あれ、じゃあハイリスク・ハイリターンなのか(笑)人生ってギャンブルだぜー)
これは分かったというよりも、今迄生きてきた人達がみんなそうだからそうなんだろうなあという事実からひっぱってきた法則というよりも結果で、ああやっぱりそうなのか〜と思った次第。
涙とともにパンを食べたものでなければ人生の味はわからないってのは密かに私が座右の銘にしてるゲーテの言葉なんですけど、いいことばかりの人生は不幸だと思うのですよ、だって半分しか人生を知らないんだもん。やっぱりご飯を食べられないような生活を体験すると、ご飯食べられるって嬉しいし、ありがたいって思うと思うし、そこで初めて今迄普通にご飯食べれてた自分ってすっごい幸せだったんだーって思うと思うのです。ご飯を食べれることを当たり前と思っていた時はそれに気がつかないからご飯を食べれてたってことがどんだけいい事だってのかが判ってなかったわけですよ。(あ、これは例えで別にご飯食べるのに事欠いてるわけじゃないです) だから悪い事を体験するのは、その分いい事を身を持って知るということだと思うんだな。
そういうことに気づいて、日々の些細な事に感謝することを判る為なら幾らでも泣きながらパン食べようって思う。一生涙とともにパンを食べるんだもんね、そうやって食べたパンの分だけ喜びが深くなるのだから涙味だって平気だよ、だあだあ泣きながら食ってやるって思っていたのは間違いじゃなかったんだってこの本を読んで思ったとです。

だけどまだ謎がひとつ。負を後払いする人はどーなんだろう?死後けちょんけちょんに言われる人だ。でも生きてるうちは当人はよかったんだよなあ、そうするとはて?という感じ。輪廻転生とかの話になるのかな、現世だけで手一杯で正直死後のことまでは考えが及ばない。

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