村上春樹の記憶があるんだけど
2005年10月19日ひっじょーにあやしい話がのっけからで申し訳ない。
プルーストの失われた時を求めてを読んでいる人に、こういう影響力の強い本は一度に沢山読んではいけない、少しずつ読むのだと言ったのはチャンドラーだっけ??違う気がする、でもそんなことを確か村上春樹が本の中で書いていたのを確かに私は読んだ。
そんでなんでそんなことを書くのだというと、今すっごく大変だからです。ほほえみの首飾りという本を薦めてくれた人が居るので読んでいるんですがうっかり最初一気に1/4位まで読んじゃったのです。
ものすごくきつかった。文章は別に難しくない、寧ろ平易なんだけど内容を受け止めるのが、いや違うな、内容も受け止められるんだけどえーとなんか読むことに身体や精神をすんごく消費するんです。
とてもじゃないけど少しずつじゃないと読めない。
(そこで思い至ったんだけど、プルーストのそれもきっとこういう感じになるんではないかな、と。読んだ事ないんだけどね)
だけど本ってのは巡りあわせだよね。それを読んだ時に理解できたり受け止めるだけの蓄積が読み手にあるかどうかで、全く違ったものになってしまうし。最近そういうことを思ったりする。本を書く人は色々大事なことを伝えようとして書くんだろうけれど、その書かれたことを読みきれるかどうかは読む人にかかってるんだもんな。
易しい文だからといって、理解が易いというものでは決して無く、寧ろ易しいものほど経験や蓄積がないと分からないような気がする。それがあってはじめて分かってくるっていうかさ。
プルーストの失われた時を求めてを読んでいる人に、こういう影響力の強い本は一度に沢山読んではいけない、少しずつ読むのだと言ったのはチャンドラーだっけ??違う気がする、でもそんなことを確か村上春樹が本の中で書いていたのを確かに私は読んだ。
そんでなんでそんなことを書くのだというと、今すっごく大変だからです。ほほえみの首飾りという本を薦めてくれた人が居るので読んでいるんですがうっかり最初一気に1/4位まで読んじゃったのです。
ものすごくきつかった。文章は別に難しくない、寧ろ平易なんだけど内容を受け止めるのが、いや違うな、内容も受け止められるんだけどえーとなんか読むことに身体や精神をすんごく消費するんです。
とてもじゃないけど少しずつじゃないと読めない。
(そこで思い至ったんだけど、プルーストのそれもきっとこういう感じになるんではないかな、と。読んだ事ないんだけどね)
だけど本ってのは巡りあわせだよね。それを読んだ時に理解できたり受け止めるだけの蓄積が読み手にあるかどうかで、全く違ったものになってしまうし。最近そういうことを思ったりする。本を書く人は色々大事なことを伝えようとして書くんだろうけれど、その書かれたことを読みきれるかどうかは読む人にかかってるんだもんな。
易しい文だからといって、理解が易いというものでは決して無く、寧ろ易しいものほど経験や蓄積がないと分からないような気がする。それがあってはじめて分かってくるっていうかさ。
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