私小説というより、平等に言うならば自伝風小説らしい。
尤も私は私小説であると思いますがね。私小説もある程度幅があって、ほんっとに誰が読んでも私小説と分かるまるまる私小説ってやつと、表向きは小説の形態を取りながら、中に流れるものはまるまる私であるという私小説があってこれは後半の方じゃないのかななどと思ったりするんですけど、己を滲ませていれば形態はどうあれ私小説じゃないのかなって思うんですけど(宮沢賢治の書いたものなんかはあれなどは童話という形態を借りた私小説だと私は思う)
あ、でももっと分かりやすく私小説になってますよ、この本は。
えーとね、己が行きたき道を行くとはこういうことぞ、という内容です。
作中に河野という真剣(金を掛けて将棋をやる)で将棋を指す人が出てくるんですけど、尤も己に厳しかった(律するという意味ではなく逃げないという意味で)この人が1番”ぼく”に近いところに居て、1番近いが故に1番大事なところは何も晒せなかったんだけど、己の吐く火で自身を焼き尽くしてしまったような生き様だった。だけどほんとは皆箱の中に閉じ込められていて、その箱を焼ききろうとして火を吐くんじゃないのか、そして熱さに耐えられなくて止めてしまう人も居るし、箱を焼ききって天に向かって火を吐けた人も居るし、自分を焼ききってしまう人も居るんじゃないかって、そう思ったりもした。
それくらいのことなんだ。
行くってことは。
尤も私は私小説であると思いますがね。私小説もある程度幅があって、ほんっとに誰が読んでも私小説と分かるまるまる私小説ってやつと、表向きは小説の形態を取りながら、中に流れるものはまるまる私であるという私小説があってこれは後半の方じゃないのかななどと思ったりするんですけど、己を滲ませていれば形態はどうあれ私小説じゃないのかなって思うんですけど(宮沢賢治の書いたものなんかはあれなどは童話という形態を借りた私小説だと私は思う)
あ、でももっと分かりやすく私小説になってますよ、この本は。
えーとね、己が行きたき道を行くとはこういうことぞ、という内容です。
作中に河野という真剣(金を掛けて将棋をやる)で将棋を指す人が出てくるんですけど、尤も己に厳しかった(律するという意味ではなく逃げないという意味で)この人が1番”ぼく”に近いところに居て、1番近いが故に1番大事なところは何も晒せなかったんだけど、己の吐く火で自身を焼き尽くしてしまったような生き様だった。だけどほんとは皆箱の中に閉じ込められていて、その箱を焼ききろうとして火を吐くんじゃないのか、そして熱さに耐えられなくて止めてしまう人も居るし、箱を焼ききって天に向かって火を吐けた人も居るし、自分を焼ききってしまう人も居るんじゃないかって、そう思ったりもした。
それくらいのことなんだ。
行くってことは。
コメント