この頃わかってきたんですが、私、博徒といいますか、ギャンブラーといいますか、勝負師といいますかまあそのテの方の書いたものがすごーく好きみたい…。
サイバラ画伯が挿絵をおつけになっていますが、内容は競輪でやられ、競馬でやられ、カジノでやられと連綿と続く伊集院先生の博打エッセイです。楽しい。
時々、阿佐田哲也氏が絡んだ話が出てくるのですが、それは特に含蓄が深いので凡人の私は思わずメモを取りそうになる程です。
競輪場でおけらになった伊集院先生が沈む夕陽を眺めていると、さあ、次の戦いへ行こうと阿佐田氏。煙草代もないんですよと言う伊集院先生に最初の半荘負けなければいいと言い放つ阿佐田氏。
…深い…。
なんというか、この見た事の無い深淵の端っこを見せてくれるところが(見ない方が人生幸せなのかもしれないですが)読み耽ってしまう理由だと思うのですが、ちょっと悔しいのは競馬も競輪も麻雀をしないものでイマイチわかってないんですよね、でもそれでも読んでて面白いんですが。

伊集院先生のエッセイを読んでて思うことは競輪も競馬も麻雀も運と経験と分析力なんですな…。適当に馬券や車券買う人なんて居ないんだーと知ってそこに驚きました…。
ギャンブルも大変ですよね、麻雀は手が多すぎるし(←プレステで麻雀やったときついにニコニコしか覚えられなかった人。アホは麻雀出来ない見本です)、競輪も競馬も走る車や馬が多すぎて一々分析なんてやる前からかったるくて仕方ない、そんな私がやるとしたらチンチロリンあたりが関の山なんでしょーかね。

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