聖(さとし)の青春/大崎 善生
2007年5月9日 読書
村山聖というA級8段の棋士の29年の生涯を綴った本です。
…そうか、「A級」なんだ、今迄ニュースなんかで耳で聞いては「永久」だと思ってました、いやーすごく強い人に生涯○段を差し上げ様ってそういう意味なのかなって…この歳まで思っていました…(恥)
こんな将棋知らずにも程がある私でも一気に読んでしまいました。
幼少の頃ネフローゼを患い、病床で将棋を覚えた少年が「名人」を目指して、自分の残り少ない時間を計りながらただひたすらに希求していく話です。
目標ではなく、名人になることが聖の生きる糧だという非常にシンプルで、強くて、苦しい道を、(実際には体が悪くて彼はとぼとぼとしか歩く事が出来なかったそうなんですが)、力強く進んでいったその足跡の話でもあります。
末期癌の病室に聖は時計を3個、見えるところに置いて置かせたそうです。時間を知るためではなく、彼にとって、生きていると実感できるのは、進む時計の針を確認する事だったんですね。針が進んだから、自分が生きていると分るっていうのは空恐ろしいほど静かな世界です、生死の狭間ってのはそんな処なのかと思いました。
ネフローゼ児を守る会の機関紙に寄稿した文には「人と違った人生、変ったおもしろい人生が歩める位の気持ちが大切」と書かれていました。
それは強さではなく、肯定で、肯定した人というのは強いのです。
…そうか、「A級」なんだ、今迄ニュースなんかで耳で聞いては「永久」だと思ってました、いやーすごく強い人に生涯○段を差し上げ様ってそういう意味なのかなって…この歳まで思っていました…(恥)
こんな将棋知らずにも程がある私でも一気に読んでしまいました。
幼少の頃ネフローゼを患い、病床で将棋を覚えた少年が「名人」を目指して、自分の残り少ない時間を計りながらただひたすらに希求していく話です。
目標ではなく、名人になることが聖の生きる糧だという非常にシンプルで、強くて、苦しい道を、(実際には体が悪くて彼はとぼとぼとしか歩く事が出来なかったそうなんですが)、力強く進んでいったその足跡の話でもあります。
末期癌の病室に聖は時計を3個、見えるところに置いて置かせたそうです。時間を知るためではなく、彼にとって、生きていると実感できるのは、進む時計の針を確認する事だったんですね。針が進んだから、自分が生きていると分るっていうのは空恐ろしいほど静かな世界です、生死の狭間ってのはそんな処なのかと思いました。
ネフローゼ児を守る会の機関紙に寄稿した文には「人と違った人生、変ったおもしろい人生が歩める位の気持ちが大切」と書かれていました。
それは強さではなく、肯定で、肯定した人というのは強いのです。
コメント